高架下のメモ帳

考えごとの記録など。

飽き性と自己認識

特に更新頻度をどうしようなんてことは考えず、思いついた日は2回でも3回でも書き、何も降ってこない日は無理せず何も書かずに終えようと思う。経験上、そうしないと続かない。


何についてもそうだけど、物事を習慣づけて継続するということが壊滅的にできない。ある瞬間に猛烈に熱中して飯も食わずにやり続けて、目標を達成したりどうしようもない壁にぶつかったら放り出して忘れ去る、という動きしかできない。たぶん生まれてこの方ずっとそうだったと思う。

今は思考を書き出すスイッチが入っているのでいくらでもこういう文章を吐き出せるけど、一度スイッチが切れると机に向かっても何も書けない状態がやってきたりする。そうなったらいくらやってもダメで、無理にやろうとすると下手すると一日中ひたすら頭の中で堂々巡りを続けて結局一行も進まないとか、何か別の逃避対象に移って破滅的に時間を溶かすとか、寝逃げして自滅するとかになってくる。

飽き性と言ってしまえば一言で済む。けれど、何か病的なレベルのそれであって、これも自分の個性といえなくもないように思う。これは今後も劇的に変わったりはしないだろう。

この飽き性に付随してもう一つまずいところがあって、飽きて放り出し、忘却した対象について、自己評価を落としてしまう悪癖がある。昔の自分が行ったすべてのことを、何か汚らわしい、取るに足らないようなものだと突き放してしまう部分がある。

実際にはそんなこともなくて、過去のアウトプットを勇気を出して読み直してみると存外に面白かったり、多少なり評価できる部分が見え隠れしたりするんだけど、自分にとっての歴史は今まで漏れ無く黒歴史だったせいか、振り返ることを本能的に恐怖しているらしい。

 

この飽き性と過去から目を背ける悪癖が重なって、自己紹介できない自分ができあがる。
趣味は何か?と聞かれた時、頭の中で過去の足跡を振り返る。
文章を書くことだろうか?いや、最近はあまり書いていないし、書いている文もこんな思考ログぐらいでとても表には出せない。
創作か?小説は完成まで書き上がったことがないし、絵は見せられるような出来のものがないし、音楽は1年ほどでやめてしまった。
読書やゲームか?よく読んだ年はあったが最近は読めていないし、ゲームはいろんなソシャゲネトゲを突っついただけで語れるほどにはやってない。
こんな思考が頭の中をぐるぐる回って、結局答えられずに終わる。

全部趣味だと言ってしまえばいいのかもしれないけど、そうすると掘り下げられた時に何も答えられないことが多い。というのは、一度放り出したことは大部分忘れてしまっているからだ。
頭の奥底には残っていて、きっかけがあれば少しずつ引きずり出すことはできる。例えば、ゆっくり考えて文章に起こす形式でいいならわりと語れはする。だけれど、その場でぽんと聞かれて応えられるような形式では脳内に保存されていないので、結局気まずく言いよどむことになる。


こうやって書くとこの飽き性が自己認識を曖昧にさせている諸悪の根源で、かつそれは自分と不可分なものであり、今更どうこうしても簡単には変わらないようなものであることがわかる。
どうすればこの自分の気質と上手く付き合っていけるだろうか。

今までの自分は、匿名でアウトプットして、それをアカウントごと切り離して忘却することを繰り返してきた。そして今も、懲りもせずまた匿名でブログを始めてしまっている。恐らく、そうしなければ問題は解決する。

例えば、実名で始めてしまって、日々会う人から「あれ放置してるけどどうなってんの?」と聞かれるような形を作れれば、恐らく自分は見栄ブーストで放置せずに取り組めるだろうし、自分のアイデンティティの発露であるところの活動を忘れ去ってしまうこともなくなるだろう。掘り下げる必要があればアウトプットを見せればいい。見ながらであれば、その作品の成り立ちについても思い出しながら語ることができる。そういう方向が、恐らく正しい。

ただ、今までの自分にはそういう方向を取るための精神的な体力がなかった。そもそも自分に対する自信が壊滅的になくて、何か自己が介在したものを公開して批評されることに対する恐怖があった。中高生の頃なんて、全くの匿名である2ちゃんへの書き込みでさえ、否定的な反応が返ってくると辛くなって寝込むぐらいには酷かった。

それから、このブログで書くような思考ログを、実名に紐付けるわけにはいかない。自分は社会不適合者だけれど、今や社会人であって、節度と良識ある行動が求められる。しかし、対社会ガードを剥ぎ取った素の自分にそんなものはない。
要はどこかで踏み外して炎上して、所属する組織に迷惑をかけずに済む自信がないということ。あるいは、燃やさないように気を遣った状態で書き続ける自信がないということ。何者でもない無名のネット民が思考を開陳していても誰も気にも留めないだろうが、それに会社の名前が間接的にでも紐づくと状況が変わってくる。
他にも、例えば創作活動にしても公序良俗に反するネタを書きたくなった時に書けるようにしておくためには、やはり実名からは切り離しておく必要がある。変な制約がかかると、本来のめり込めることにものめり込めなくなる。

いずれにせよ、実名サイドでできることはきちんとしていくのが状況を前に進めるための一つの方法だろう。実際、やるべきこともやりたいこともある。後は、前に進む情熱を絶やさないことだけ意識すればいい。

そしてもう一つ、実名サイドでできない活動についても、責任を持ち、手放すことなく背負っていく必要がある。実名に紐付けられないこともやはり自己であり(しかも自分の場合その割合はかなり大きい)、意識できるところに記録として残しておかなければ、総体としての自分を認識できなくなる。

ネット上でも一つの名前に活動を集約して、第二の自己だと思って切り離さずにやっていく。
できればこのブログとカケスというアカウントをそういう存在にしたい。