高架下のメモ帳

考えごとの記録など。

ブログの書き始め

ブログの書き始め。


地方から東京に出てきて、社会人として勤め始めて一ヶ月ほど経った。色々と思い悩むことこそあれ、それなりに社会人らしく組織で生存できていて、拍子抜けしたような気分でいる。

というのも、自分は今までどうしようもない社会不適合者で、ないリソースの大部分を日々を切り抜けることだけに向けてなんとかかんとかやってきた人間だから。

会社の同期や先輩方は皆優秀で人柄もよく(正直自分がなぜこの会社に受かってしまったのかよくわからない)、何より自信に満ち溢れてキラキラしている。
自分はどういう人間で、何が好きで、何が得意であるか表明することに何の迷いもないし、自らの個性を誰かを楽しませるために活用していくことにも長けている。

翻って自分を見ると、この一つたりともまともにできない。自分の個性を上手く活用していくどころか、何が得意なのか、何が好きなのか、自分が一体どういう人間なのかすらも把握できていない。周りの人たちはよくしてくれて居心地はいいけれど、内心ぽかんと宙に浮いたような気分でいる。

自分の生育環境だったり、過去のトラウマだったり、あるいは生まれ持った発達特性だったり、いろんなものが影響してこの自己認識の弱さ、自信や自負の欠如に繋がってるんだろうけど、いつまでも引きずってはいられない。

今までは、自分が社会において生存していけるかどうか。そういう世界観で生きてきた。至らない自分と厳しい社会との戦い。隙あらば引き篭もって自堕落な方向に逃げようとする自分に鞭打って、そんなんじゃ野垂れ死ぬぞと叱咤激励して、少しでも安全そうな、生き延びるための高台に這い登る。その繰り返し。

けど、幸か不幸か、思っていたよりもあっさりと自分を自分で食わせられるところまで来てしまった。ここからは、生きるか死ぬかではなくて、どう生きるかが問題になってくる。

どう生きるのが自分にとって幸せだろうか。どう生きれば周囲の人々と長く心地よい関係を築いていけるだろうか。どう生きるのが、将来の自分が後悔しない一生に繋がるだろうか。
このあたり、今まではあまり考えてこなかったように思う。なにせ、生きていける自信がまるでなかったから。


自分にとって幸せな生き方を見つけるにせよ、周囲の人たちと関係を築いていくにせよ、まず自分は何が好きであり、何が得意であり、一体どういう人間なのかを明らかにしないと始まらない。
自分の幸せは自分の好みの延長線上にあるだろうし、他人と関わるにも自己をきちんと表明できないと相手も困るだろう。

好きなこと、得意なことというと、こうやって思い悩んでは思考を文章に起こすことがなんとなく思い浮かんだ。今まで幾度となくやってきて、もう息をするように悩めるし書ける。
趣味は悩むことです、なんて言ったところで相手も反応に困りそうだけれど、これが現時点の自分の最も誠実な自己紹介ではある。

こういう思考ログを面と向かって他人に見せる気にはならないけれど、匿名でネットになら放流できるし、ひとまず表に出すことにした。
もし自分に個性なんてものがあるのなら、このブログに書き記していく側面は間違いなくその個性の一端で、いずれにせよどういう形かで相手に示していけるようにしなければいけない。

この場では、俗に言う自分探しというか、自己の再認識と個性探しというか、そういう作業をやっていきたい。そのまま書くと本当にチラシの裏でいいような内容になってしまうので、できればコンテンツとしての見せ方も考えていきたいところ。自分を構成する要素の中で、売り物にできそうな部分はどこなのかという模索。

ブログタイトルは語感で3秒で考えた。更新はしたくなった時にする。